金持ち相手に仕事をしていることがそんなに偉いことなのだろうか?

下流マーケティングの時代【日経BPネット】

現在の日本では“豊かさ”の存在感が急速に薄れ、“貧しさ”の影が色濃くなっている。だが日本に蔓延しつつある貧しさは、飢えに苦しむような絶対的貧困ではない。日本の下流層の多くは、100~300万円程度の世帯所得がある。これは今世界で最も元気な途上国の中流層と、同等以上の所得水準と言える。

私も常々、日本のビジネスのあまりの上流・高付加価値偏重に危惧を抱いていた。

低価格・低付加価値商品では競争力がない理由を「日本の人件費」に全て転化し、これまでコスト競争から逃れてきた企業が少なからず存在する。これは特定の業種に偏っているわけでもなく、どちらかというと各企業の文化によるところが多いように私は感じている。

高付加価値偏重主義に陥っている企業は「低コスト・低利益・大量生産」をバカにしているようなところがある。かつての日本を支配していた売上高偏重主義が、反動の行き過ぎで利益偏重主義になった結果だろう。高い利益=高い利益””=高い付加価値=少量生産、といったものを志向し、安価な商品を提供する努力を蔑む傾向があるのだ。

確かに高い利益を上げるのは素晴らしいことだ。だが時代が進むにつれ、その高い利益の源泉を自らのコストダウン努力に求めるのではなく、顧客への負担に付け替えるようになった。そのくせ、低価格商品では勝負できないと言い続けている。まぁ、要は楽に商売したいのだろうという意味だと私は理解している。しかも始末に負えないことに、楽をすることが立派なことだと勘違いしている。

インドのタタが発売する30万円を切る車、nano。
この車はインドのモータリゼーションを進めるという大きな目標のために開発された車だ。だが、一部の人々はこの挑戦を讃える代わりに「車が安っぽい」などとどうでもいい批判に明け暮れている。タタが大きなリスクをとってその目標を目指している姿をあざ笑っている。その”一部の人”というのはいうまでもなく、高い利益を顧客から巻き上げ、自分たちはコストダウンのための努力もせず、リスクすら取ろうとしないような人々のことだ。

ビックスリー唯一の生き残りとも言える、米フォード。その伝説的な創業者であるヘンリー・フォードは車が一部の金持ちだけのものであった時代に「大衆のための車」を志向し、それを作り上げた。今では義務教育でも、ヘンリー・フォードインドのタタがnanoを作った動機もフォードがかつて志したものも、全く同じものあることに気づかないだろうか?一方日本でも、既にトヨタとホンダがハイブリッド車を大衆車にすべく、激しい戦いを始めたところだ。

ご大層な高級品作って、それで目先の利益が上がっていることがそんなに偉いことだろうか?より多くの人によりよいモノを届けるというのが、ビジネスのあるべき姿ではなかったのか?

そうしたことを忘れ、高利益率というぬるま湯に踏みとどまるなら、冒頭に紹介した記事の事実に追い詰められてから気づくことになるだろう。利益”率”は維持できるかも知れないが、利益”総額”が悲惨なモノになることは想像に難くない。

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