ちょっとゲームの話題っぽいビジネスの話を。
イース7をクリアしました。良かったですよ、とても。このくらいのクオリティがあれば「イース1やイース2の方が良かった」というおなじみの評価を受けずに済むでしょう。
傑作と言われたイース1やイース2が発売されたのは1988年だったかな。つまり今から20年も前の話になります。その間、続編3~6までの続編が作られましたが、概ね全て「1と2を超えるものではない」的な評価を受けています。この20年でゲームを取り巻く環境は激変し、ゲーム機もパソコンも高性能化したにもかかわらずです。20年前のスパコンなどより、今のPSPの方が処理能力は遙かに上です。
いったい何故、そんな情けないことに?
実はイース1&2を開発したメンバーはイースの開発後にほぼ全員が開発元である日本ファルコムを退社していたのです。
『II』の開発終了直前には、主要スタッフとファルコムの亀裂はきわめて大きくなっており、『II』のマップデザインやキャラクタデザイン、さらにマニュアルイラストレーションなどを担当していた都築和彦の離脱を皮切りとして、音楽担当の古代祐三などスタッフは次々と日本ファルコムを離脱していくこととなる。『II』を完成した橋本・宮崎は『イース』ではないつもりで『III』を企画するがシリーズの続投を決めたファルコムは『イースIII』へと内容の変更を要求する。
これが一因となってか橋本・宮崎に加え倉田佳彦の3人が『III』完成直後にファルコムを離脱。さらにグラフィックスの中心であった山根は『スタートレーダー』完成直後にファルコムを離脱し、以降のファルコムに残るオリジナルスタッフは大浦孝浩と桶谷正剛、音楽担当の石川三恵子のみとなった。
日本ファルコムは主要なクリエイターの全てを失い、それでも何とか続編を作り上げてはみたものの、評価はイマイチ。以後20年の長きに渡り、1&2を上回る続編を作れないという悪夢のような状況に陥ります。
一方、ファルコムを退職したクリエイター達はその後、大いに活躍します。特にイース1&2のシナリオライターでもあった宮崎友好氏が設立した新会社クインテットはファルコムを退職したクリエイター達を集め、名作として名高いゲームを作り上げました。今でも根強いファンがリメイクを望んでいるようです。私もプレイしましたが少なくとも当時においては間違いなく、イース1&2は超えていたと思います。
このように優秀なクリエイターが、ファルコムから大量に離脱した理由は現在も謎のままで、語られる理由も憶測の域を出ません。
ただ・・・・。ただでさえ人の出入りの激しい業界。しかも中小企業ではこのような人材の大量流出というのはそう珍しい話でもありません。かくいう私はIT業界の人ですが、似たような状況は目の当たりにしてきましたし、自身で体験もしてきました。ちなみに通常の転職であれば、その動機は以下の3つで大体8割くらいを占めます。
- 上司(経営者などを含む)
- 給与
- 仕事のやりがい
まぁ普通に人材が流出していくというのはある程度であれば経営リスクとして計算しておくべき話ではあります。ただ、これが大量にいっぺんに、とかいう場合は根に深い問題がある場合がほとんどです。特に日本ファルコムの場合は2009年現在においでさえ社員数50人程度の会社なわけで。これだけの主要クリエイターの離脱というのが以下に経営上も重要な問題であったかが想像できるでしょう。
イース7はユーザーからも高い評価を得ているようですが、ここまで至るのに20年ですからね。すなわち、会社の問題を解決し、市場に対して十分以上の競争力を発揮できるようになるまでに20年を要したということです。この20年で大会社に成長したゲーム会社もいくつかありますが、そうした会社に取り残されるように20年。この結果が、会社経営上の問題が存在したことを証明しているといって差し支えないと思います。
人材の大量流出が起きるような企業はそもそも根本的な問題を内在しており、それに経営者が気づいて問題を取り除くまで、10年でも20年でも、成長できない状況が続くわけです。むしろ、倒産しなかっただけマシといっていいでしょう。実際、これまでにも多くのゲーム会社が倒産しているわけですから。
さて――、ここからがまた興味深いところなのですが。
長らく低迷の続いた日本ファルコムでしたが、2000年以降は徐々に持ち直してきました。前社長は顧問に退いていますが、ファルコムが危機的な状況にあったころから勤務で、2001年に社長に就任して以降、ファルコムを現代的な企業として恥ずかしくない体制に整えてきました。いわばファルコムを見限る代わりに、立て直す事を選んだわけですね。ファルコムにとって20年は長かったですが、諦めずに経営を続けて新たな経営者を迎えたことで、ようやくそれが花開いたというところでしょうか。
その一方で、退社したクリエイター達が設立したクインテットの方は、最近ではめっきり活躍の場が減り、目にすることがなくなってきました。この20年でゲーム業界では、開発の大規模化とそれにともなう分業化と、発注の階層化(要は下請け、孫請け構造)ができあがり、クインテットも現在は他社のゲーム制作の部分下請けをやっているようです。
結局、最後には何が幸いするか分からないものです。ただまぁ『クリエイターは瞬発力、経営者は忍耐力』なんて気はしています。