
まず、重要な前提をひとつ。
宇宙は情報(0と1)でできています。
パソコンの中のアレと本質的に同じものです。
いや、私が狂っているわけではないですよ?
最新の宇宙論が、宇宙は究極的には0と1の情報に過ぎないという方向へ進んでいるんです。
そしてこの大前提を受け入れるだけで、
「人とは何か?」「意識とは何か?」という問いが劇的に“分かる”ようになります。
今回はこの考え方を、できるだけカンタンに、物理学・情報論・哲学の境界で整理してみます。
ただし、最初に結論を言っておきます。
『まどか☆マギカ』は宇宙論的に正しい。
■ 宇宙は0と1からできている
「It from Bit」——物理学者ジョン・ウィーラーの言葉です。
その後、量子情報理論やホログラフィー原理がこれを実質的に裏付けていきました。
つまり宇宙の最小単位は「物質」ではなく、
ビット(0と1)として記述される“情報状態”なのです。
スマホやPCだって中身は0と1に過ぎませんが、質感以外のあらゆる現象を再現できますよね?
宇宙も同じです。
- 電子
- 原子
- 空間
- 時間
これらはすべて「情報パターン」として扱えるし、実際にそう扱われています。
■ 物質と情報の違いは「観測のされ方」にある
こう考えると、物質も情報もどちらもビットの集合に過ぎないとすら言えます。
ただ「観測のされ方」が異るだけなんです。
- 物質:直接見えるもの
(観測者に対して“安定した形”として現れるビット構造) - 情報:直接はみえないもの
(物質の背後にある規則性・相関で、間接的にしか観測できない)
つまり、
物質≒ビットの“形”
情報≒ビットの“意味”
というだけの違いでしかないんです。
■ 物質の究極形は「鉄」である
太陽の中心には、核融合の最終生成物である鉄が大量に溜まっています。
なぜか?
鉄こそが物質として最も安定しているからです。
- 鉄より軽い元素は融合して鉄へ向かい
- 鉄より重い元素は崩壊して鉄へ戻る
宇宙における「物質界の安定点」は鉄なのです。
鉄=物質の究極形
これは物理的事実です。
■ 情報の究極形は「概念」である
では、情報はどこへ向かうのでしょうか?
答えは、
極限まで圧縮された情報=概念(concept)です。
生物は「反応の集合」から進化し、
脳は「抽象化」へ進み、
人間の意識はついに「自己参照」へ到達します。
物質が鉄という安定点を目指すのと同じで、
情報もまた、自らを“最も安定した形”へと縮めようとします。
その姿こそが 概念 なのです。
- 圧縮
- 抽象
- 自己モデル化
このプロセスの先に、
意識(自己参照構造)という究極の情報形態が生まれる。
情報界の終着点は、
鉄のように固まった物質ではなく、
自己参照性という形で強固に維持される「概念」なんです。
■ 生命に意味も目的も本質的には存在しない
詳しい話はまた別でしますが、
人間は究極的にはビッグバンの結果として偶然生まれた“現象”にすぎません。
情報構造が最終的に「概念」を志向する中で、
その途中経過として生命が誕生しただけです。
生命は、
ビットの偏りが
自己維持し続けようとした結果、生まれた現象
にすぎません。
もちろん、人間もその一つです。
人間は現象でしかない。
■ しかし、もし「目的」を仮定するなら
それでもなお、人間に一つだけ目的を設定するなら、それはこれです。
ビッグバンにより生じた“カオスの流れ”に抗い、
世界をより少ない法則で理解しようとする性質。
人間はとにかく何でも圧縮したがる生き物です。
- 物理学者は統一理論を求め、
- 思想家は世界を要約し、
- 科学者は宇宙をひとつの式に縮めようとする。
これはすべて、人間という情報生命が持つ本能です。
そしてその究極形こそ、アインシュタインが求めた
“神の方程式”
に他なりません。言い換えれば
人間の目的=神を識ること
宗教が「人の傲慢さを戒めつつ、神を識ることを求める」矛盾はこれが原因です。
宗教ですら、人間の究極の目標を否定は出来なかったという事です。
■ 虚淵玄はこの構造を物語で描いた
で、冒頭の結論に戻るのですけど。
これらの思想を「物語として描いた」作家が
──虚淵玄です。
特に『魔法少女まどか☆マギカ』は、完全に情報宇宙論の寓話です。
- 人間の魂=情報生命
- 法則=世界の上位レイヤー
- 概念化した存在=情報の究極形
- 物理世界<情報世界
情報論・物理学・哲学の観点から見ても、
あまりに整合した構造になっています。
今、世の中には「ファッション意識高い系エンタメ」が蔓延して、私の怒りを煽っていますが…
正直、まどマギ観た方が遙かに有意義ですよ。
というか、このブログを読むよりまどマギ観た方が早いです。
■ ビッグバン以前に「意味」はあるのか
さて、ここで一つ問題があります。
宗教論と科学論がしばしば衝突しますが、その原因
ビッグバン以前に、
“特別な意味”や“意図”が存在した可能性が否定できない
事にあります。
しかし、それを理論化するのは極めて難しいでしょう。
理由は単純です。
意味・物理・情報はすべてビッグバン後の“宇宙内部の話”。
ビッグバン以前には、意味という概念すらない。
比喩ではなく“物理的に”意味がないんです。
意味がない事に対し人は本能的に不安を感じますが、
こうして考えると「不安になっても仕方ない」とお分かり頂けるはずです。
なにしろ、意味すらないんですから。
■ まとめ
この世が情報宇宙である限り、
人とは「神の概念へ向かう現象」のことである
って、感じかな?と。
